【真理の羅針盤 第2章】混乱を脱出する4つの出口
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は、苦しみの意味を知らない。

なぜ怒るのか、なぜ反抗するのか、
なぜ快楽をむさぼるのか。

なぜ自分の体を傷つけるのか、
なぜ死にたくなるのか、
そうした苦しみの意味を知らない。

なぜ自分は頑張るのか、
なぜ周りの目を恐れるのか、
なぜ富や名誉を欲するのか。

なぜ人を裁くのか、
なぜ嫉妬するのか、
まったく分からないまま苦しんでいる。

誰もが何を欲しているのか気付かないまま
誤ったものを求め続け、過ちを重ねて苦しんでいる。

何をしているのか分からないまま、
人を傷つけ、自分を愛せずにいる。

掴みどころのない答えを探して
僕たちは学び、あらゆることを思案する。

今回の記事では
その混乱を解消する糸口を考えていきたい。

それは僕自身が人生を良くしたいとの思いで学び続け
学べば学ぶほどに混乱の罠へとハマっていったからだ。

土台を見直す機会を提供できれば幸いです。

混乱からの出口はどれだ?

人間は幸せになることを望む。

今よりも少し良い暮らしをしたい。
今よりも子どもたちにいい思いをさせてあげたい。
今よりも余裕のある生活をしたい。

このような思いから
あらゆるものを学び始める。

ある人は、お金があれば達成できると思い
副業を始めたりする。

投資を始める人もいるだろう。

また、ある人は
心を変えるために自己啓発を勉強するだろう。

ある人は、スピリチュアル
またある人は、神社やお寺に行ったり。

成功者の話を聞いたりもするかな。

要するに「いま」を変えるために
あらゆることをやっているのです。

しかし、学べば学ぶほど
混乱の中へと入っていく。

「結局、何がしたいんだろう?」

「出口はどこなのだろう?」

迷える子羊と化していく。

僕も同じだ。

そんな混乱から抜けるためには
生き方を見直すしかない。

生き方こそが
実を結ぶための土台である。

意識するにせよ、意識しないにせよ
人間の生き方は大きく分けると

4つに分類される。

①自虐的な生き方
②世俗的な生き方
③宗教的な生き方
④使命的な生き方

これら一つ一つを丁寧に見ていきたい。

①自虐的な生き方

自虐的生き方とは
「〜しなければいけない」という生き方だ。

僕は、三人兄弟の真ん中の長男として生まれた。

特に貧乏なわけでもなかったし
どちらかと言えば甘やかされて育った。

だけど、生まれ持ってなのか
心が弱く、ビビリで自信がなかった。

無意識ではあるが
「苦労しなければいけない」とか
「もっと頑張らなければいけない」といった
自虐的な観念を持って生きてきた。

消防士の頃は、弱音もなかなか吐けず
自分の本音を押し殺して生きていた。

そして、「プツン!」と音を立てて
糸が切れた時に鬱になった。

自虐的な生き方は自分自身を苦しめてしまう。

「〜しなければいけない」
このような土台の上で生きていないだろうか?

②世俗的な生き方

世俗的生き方とは
「〜したい」という生き方だ。

僕は、鬱から復活した後
「なぜここまで自分に嘘をついて生きてきたのか?」と問うようになった。

それから、人生一度きりなのだから
自分のやりたいことをやろうと思った。

そこから「自分のやりたいこと」を追求した。

もっと豊かになるためには
お金が必要だと思った。

もっと認められるためには
能力やスキルが必要だと思った。

そして自分の「したいこと」のために努力して生きた。

しかし、「したいこと」をどれだけ追求しても
自分の心が満たされることはなかった。

お金を得ても、次の目標が出てくる。
それと同時に、お金を失う恐怖が出てくる。

どれだけスキルや資格を取っても
心が安心できる場所は見当たらない。

結局は、失いたくないという重圧を感じて生きた。

人間の欲は尽きない。

この欲を満たすために
永遠に走り続ける必要があった。

世俗的な生き方は
尽きることのない欲を満たし続ける必要があった。

「〜したい」という
幻想に向かって生きていないだろうか?

③宗教的な生き方

宗教的生き方とは
「〜すべき」という生き方だ。

僕はキリスト教徒ではないが
聖書を人生の指針として生きている。

「〜しなければいけない」という自虐的な生き方に苦しみ
「〜したい」という世俗的な生き方に絶望し
たどり着いたのは「〜すべき」という宗教的な生き方。

様々な教えは素晴らしいが
気づいてみたらその考えに縛られて苦しんでいる自分がいた。

これに気付くまでは
とてもとても時間がかかった。

日本人は言葉にしないだけで
無意識のレベルで目に見えないものを信じている。

初詣に1億人もの人が行く国は
他の国と比べても異常だ。

だけど、日本人は宗教が大嫌い。

というのは、宗教をしている人に幸せそうな人が
少ないからではないだろうか?

顔は笑ってても
心は笑っていない。的な?(笑)

というのは、
宗教は「〜すべき」という生き方に他ならないからだと感じた。

信仰を持つことは素晴らしいことで
目に見えないものを信じることはとても大切だと思う。

しかし、それに縛られ
それに苦しむのは少し違うと思う。

お布施をすべき。
断食をすべき。
修行をすべき。

「〜をしなければ救われない」とか

このような基準で生きていると
せっかくの素晴らしい教えも台無しになってしまう。

ここからの脱却は本当に難しいと思う。

生き方を考えた時に仏教に入ったことがある。

しかし、これはちょっと違うな〜と思って辞めた。

そこから、宗教ではなく
聖書を軸に、と思ったが結局は宗教的な生き方になっていた。

難しいな〜(笑)

あらゆることを勉強したけど
結局は人間の誤解釈なのだと思う。

④使命的な生き方

使命的生き方とは
「どのように生きるか」という生き方だ。

ひとりひとりが
使命を持って生まれてきている。

誰一人と不必要な人はいない。

大なり小なり役割は違えど
必ず、生まれてきた意味があるし
目的があり、成すべきことがある。

使命に沿って生きれば
自ずと栄え、自分も周りも輝き始める。

「どう生きるか」

「どのように生きるか」

これこそが土台として立つ位置であり
本質的な問いである。

「成すべきことは何か?」

「与えられた役割は何か?」

言葉で言うのは簡単だけどね。(笑)

今の自分をチェックしよう!

本を読んだりセミナーを受けたり
学ぶことは大切だけど、
そもそもの土台を見直すことが最優先である。

自分の生き方は
どれに当てはまるだろうか?

①自虐的な生き方
②世俗的な生き方
③宗教的な生き方
④使命的な生き方

①自虐的生き方は
自分を苦しめ、束縛の中で生きることになる。

②世俗的生き方は
欲に支配され、一喜一憂する人生を歩むことになる。

③宗教的生き方は
愛の追求をしているようだが、隔たりを作り
自分自身の正しさで人を裁く生き方になる。

④使命的生き方は
自分自身に与えられた役割を全うする人生である。

人には自由意志があるため
どれを選ぶことも自由である。

しかし、混乱の中から脱却する
唯一の出口は④使命的な生き方にある。

あなたはヒトツのピース

“私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。”
エペソ人への手紙 2章10節

すべての人が神の作品である。

だからこそ、あなたの存在に価値があるし
自分で自分の命を絶ってはいけない。

どんな形であろうと
自分に価値があると思えなくても
あなたは神の最高傑作だから。

なぜ、あなたは神によって創られたのか?

“あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。”
コリント人への手紙 第一 12章27節

それは、あなたには役割があるから。

イメージしてほしい。

人間の体は
あらゆる臓器からできている。

腕、足、顔、手、胴体
心臓、胃、膵臓、小腸 etc…

これらの各器官が
それぞれ与えられた役割をこなすことで
全体が健全に機能している。

人間もコレと同じで
77億人ひとりひとりに役割を与え
ひとりひとりが機能することによって
全体が益となるようにできている。

この与えられた役割に沿って生きることこそ
使命的な生き方でありあなたが光り輝く唯一の道である。

言葉で言うのは簡単だが…

「そんなことは分かってるよ!」
という言葉が聞こえてきます。(笑)

「だから、自分の役割は何か知りたいんだよ」

「自分の使命は何かを知りたいんだよ」

ですよね?

使命的な生き方とは
具体的にどういうものなのか?

どうすれば、
自分に与えられた使命を全うすることができるのか?

次回はそんな話をしていきます。