【真理の羅針盤 第3章】世のため人のためでは幸せになれない理由
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まれたての赤ちゃんは
大きな産声をあげこの地上世界に生まれてくる。

純真で素直な心は
年を重ねるたびに曇っていく。

両親、環境、メディアなど
あらゆる情報によって別の「わたし」を形成していく。

僕たちは
「このように生きたら良いよ」という指針を受け継いでこなかった。

どう生きれば良いのかわからず
僕たちは迷いへと進んでいく。

ある人は、自分の好きなことをやればいいという。
ある人は、人のために生きなさいという。
ある人は、自分を愛しなさいという。
ある人は、世のために生きなさいという。
ある人は、感謝して生きなさいという。

本質的には同じことを言っていても
受け取り方によって混乱を招く。

前回の記事では
僕たちの生き方は4つに分類されるお話をした。

①自虐的な生き方
②世俗的な生き方
③宗教的な生き方
④使命的な生き方

ストレスを感じることなく
歓びを感じながら、
人にも助けられ天にも助けられる生き方は
④使命的な生き方である。

今回の記事では
使命的な生き方をもう少し深堀りしてみたい。

何のために生きるのか?

例えば、あなたが胃として生まれてきたのであれば
そこまで人生に迷うことはない。

なぜなら、
誰もがわかる役割を与えられて生まれてくるから。

そして、
自由意志を持たずして生まれてくるから。

人間は、必ず役割と目的を持って創造される。
しかし、自分の役割や成すべきことがわかりくい。

それと併せて自由意志があるおかげで迷ってしまう。

自由に選べる権利を与えられるからこそ
責任が伴い、自分で選択・決断していかなければならない。

その中でヒトツの指針を提供したい。

それは「何のために生きるのか?」という問いの答えである。

それは

「あなたは光り輝くため」

に生きるのである。

あなたは
「世のため人のために生きる」のではないし
「親孝行のために生きる」のでもないし
「神さまのために生きる」でもない。

ただただ
自分自身が光り輝くために生きればいい。

と、聞くと
「自分のために生きるの?」
抵抗はしないだろうか?

そんなあなたこそ
この記事を最後まで読んで欲しい。

僕はこの考えを受け入れるのに時間がかかった。笑

人間視点の”世のため人のため”

人間の視点で考えると
人の役に立つことが美徳のように見える。

世のために生きることが美徳のように見える。

それ自体は間違いではないが
大切なことを見失っている。

天の神さまは一人ひとりを目的を持って創造した。

それは、個々が役割を果たすことで
全体の益となるために創造した。

体を例に取ると
各器官、臓器を創造したのは
各器官、臓器が自分の役割を全うすることによって
人間の体を健全に機能させるためである。

では、体を例にとって
人間がやりがちなことを見ていこう。

胃は、両親から感謝して生きなさいと言われた。

胃は、自己啓発セミナーに言って
人生をうまくいかせるためには
世のため人のために生きることだと言われた。

胃は「世のため人のために生きる」ために
そのように心掛けた。

ある時は、小腸のために時間を注ぎ
小腸のために生きた。

ある時は、肝臓のために時間を注ぎ
肝臓のために生きた。

胃は自分自身が
小腸や肝臓のために生きていることに感謝され満足していた。

しかし、気がつくと
体は胃の消化不良によって体調を崩した。

胃から消化されたものを受け取る
十二指腸は、消化されたものが来ないため
健全な働きができなくなった。

ここで胃は気がつく。

「世のため人のために」頑張ってやっていたことが
全く「世のため人のため」ではなかったことに。

僕に例えて見よう。

僕は「世のため人のために生きる」ために
そのように心掛けた。

ある時は、Aさんのために時間を注ぎ
Aさんのために生きた。

ある時は、Bさんのために時間を注ぎ
Bさんのために生きた。

しかし、気がつくと
自分自身が全然幸せでないことに気がついた。

自己犠牲の上で
世のため人のために生きていた。

これこそ、多くの人が人のために生きていても
豊かにならない原因である。

神視点の”世のため人のため”

胃は、自分の役割を全うすることを決めた。

自分が与えられた能力を活かし
与えられた環境で光り輝くことに努めた。

胃は、食道から流れてくる食物を胃酸によって消化した。

頑張る必要はなく
ただただできることをできるときにやった。

すると、消化されたものが自然と十二指腸に流れた。

十二指腸が水分を吸収した。

胃は、与えられた仕事を責任を持って全うすることによって
体が健全に保たれ元気よく機能した。

胃は、自分自身ができることだけをやっているだけで
世のため人のためとなった。

そこに苦労は必要なかった。
努力も必要なかった。
無駄に人のためにやろうなんて考える必要もなかった。

与えられた能力で
与えられたことをやっただけで
全体の益となったのである。

与えられた能力を活かしている時が
一番光り輝いていた。

胃は、自分が光り輝くことで全体の益になることを覚えた。

僕は、自分の役割を全うすることを決めた。

自分が与えられた能力を活かし
与えられた環境で光り輝くことに努めた。

僕は、文字を書く能力を与えられた。
目に見えない世界を言語化する能力を与えられた。

この能力を活かしブログで文字を書いて
人々の混乱を解くために情報発信をした。

それを読んだ人は
多かれ少なかれ悩みが解消され
混乱から脱出することができた。

僕は、人の気持を読み取る能力を与えられた。
10分話すだけでその人の問題がわかる能力を与えられた。

そこに悩んでいる人が来た。

話しを聞いて解決策を言ってあげた。
感謝をしてお金をくれた。

そこに苦労は必要なかった。
努力も必要なかった。
無駄に人のためにやろうなんて考える必要もなかった。

与えられた能力で与えられたことをやっただけで
その人のためになった。

自分の能力を活かし
人の喜んでもらえると
自分自身が光り輝いた。

世のため人のためにやろうと考えずとも
自分自身の役割を全うするだけで
結果、世のため人のためになった。

受け取るブロックを解除せよ

って、偉そうに言ってますが
まさに偽善者のように
世のため人のためにって言いながら生きてたのは僕です。笑

「自分のために生きる」

って聞くと、
「え?」って思ってしまうくらい自尊心が低い人間でした。

世のため人のためにとか
頑張っているけど、
なかなか実らない人は
「自分のため」に生きたほうがいい。

自分のためというか
「自分が光り輝くため」に。

では、
「自分が輝くために生きる」とはどういうことなのか?

それは2つの要素がある。

①与えられた恵みを受け取る
②与えられた役割を全うする

ひとつひとつ見ていこう。

①与えられた恵みを受け取る

すべては「受け取ること」から始まります。

僕たち人間は
天の価値観とは違う世界で生きています。

この地上世界の価値観は
どれだけのことをしたか?
どれだけ努力したか?
どれだけお金を持っているか?
どれだけ人を幸せにしたか?

という「行い」によって価値が決まります。

そのため、
努力しない人、結果を残さない人は
残念ながらこの世の価値観では認められることはありません。

この世の価値観とは
「うわべ」です。

「うわべ」によって評価される世界です。

多くの人は
「うわべ」を評価してもらうために
「うわべ」に時間をお金を費やします。

しかし「うわべ」を求める人生は
安息はありません。

「うわべ」がなくなれば
認められなくなるので
自分の価値を保つことができないのです。

しかし、天の価値観は違います。

“私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。”
エペソ人への手紙 2章10節

あなたの価値は
「うわべ」で決まることはありません。

どれだけ富を持っていようが
どれだけ人の役に立っていようが

貧乏だろうが
努力をしてなかろうが

あなたの価値は変わることはありません。

で、大切なことは
この恵みを受け取ることです。

“わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。”
イザヤ書 43章4節

素直に、この言葉を受け取ることです。

と言っても受け取れないですよね?笑

その話しはまた別の記事で。

②与えられた役割を全うする

ずっと言ってますが
あなたは神の作品です。

あなたは目的を持って創造されたのです。

だから、役割があるのです。

その役割を全うしていくことが
あなたが光り輝き
世のため人のために生きる最短ルートです。

って言っても
その役割がわからないんですよね?

それも別の記事で書きます。

白黒で考えないこと

じゃあ、
「世のため人のために生きる」ことはダメなのか?

じゃあ、
「家族のために生きる」ことはダメなのか?

学びを深めている人は
白黒をはっきりさせたい人が多いんですよね。

そうじゃなくて、
基本は「自分自身が輝くため」ということは

「世のため人のために生きること」で
自分が輝くならそれで良いわけです。

「家族のために生きること」で
自分が輝くならそれで良いわけです。

あなたを創った天の神さまは
あなたが幸せで光り輝いて欲しいと願っています。

そのために恵みを与えているんですが
あなたが受け取らないから枯渇しているだけです。

あなたが光り輝くために生きていくことこそ、

本当の自分で生きられる道です。

さて、ここにきて
また新たな疑問が浮上しました。

それは

「どうすれば光り輝くのか?」

「自分の与えられた役割は何なのか?」

「自分がなずべきことは何なのか?」

次回は、そんな話しをします。