聖書が読めない5つの理由と解決策
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2000年前から変わらずに
そして全世界で読まれている書物があります。

聖書です。

聖書という言葉を聞いたことがない人はいないはずです。

聖書の発行部数はギネスブックに載っており
1815年~1998年の183年間で約3880億冊

聖書は66巻の巻物がひとつになった書物です。
(旧約聖書39巻、新約聖書27巻)

聖書ができたのは今から約3500年前。

そして、1600年間掛けて
40人の人を通して記された書物です。

イメージしてください。

今から1600年後、3620年に完成する本を
打ち合わせなしで40人が勝手に選ばれて書き記す。

完成したものを見ると辻褄が合わないところがない。

しかし、興味があってもなかなか読むことができません。

まず「聖書=キリスト教」という印象が強いので、なかなか敷居が高く手に取ろうとしません。

聖書には日本のことがたくさん書かれているので
日本人には読んでほしいですね。

ということで、今回の記事のテーマは
「聖書が読めない5つの原因」です。

その理由は

①キリスト教が読むものだと思っている
②分厚すぎる
③知ってしまうと律法に反している自分に直面する
④真理を求めていない
⑤読めないように書かれている

これらひとつひとつを解説していきますね。

①キリスト教が読むものだと思っている

僕もつい最近まで聖書は宗教本だと思っていました。
キリスト教徒、ユダヤ教徒が読むものだと。

しかし、それは誰かの意図による策略です。

宗教は入る必要もないし宗教には救いはないのですが、
しかし、宗教の歴史を知ることは
この世の中がどのように動いているのかがわかります。

実は、聖書を理解してしまうと
この世の99.9%が偽りであることが分かってしまいます。

「アセンション!」「次元上昇!」みたいな
ふわふわスピリチュアルの覚醒めではなく
本当に意味で善悪の識別ができるようになります。

しかし、支配者層からすれば
人々は盲目で奴隷状態であってほしいワケですから
聖書を読ませないよう、読ませないようにしています。

昔は聖書を手にするだけで迫害を受けました。

聖書をこの世から抹消しようとした勢力もありましたが
でも、現在も2000年前からの書物が残っているのです。

奇跡の書物ですよね。

②分厚すぎる

聖書は66巻の巻物がまとまった本と言いました。

聖書全体には約3万3千の教えが詰まっていると言われています。
そして旧約聖書は 1439ページ、新約聖書は461ページもあります。

しかも、文字がめちゃくちゃちっさい。
しかも、何が書かれているのかサッパリわからない!って感じです。

“狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。”マタイの福音書 7章13~14節

聖書は神が人を通して書いたものです。

言えば、あなたに送られた神からのラブレターです。

イメージしてください。

最愛の母が死んでしまいました。

本当に本当に大好きで
母がいなくなったことをひどく悲しみました。

ある日、部屋を整理している時に
母から自分に宛てた一冊の本を見つけました。

ページは2000ページで
自分に送られたメッセージが書かれていました。

どうでしょう?

時間を掛けてでも読みたいと思いませんか?
それは愛する人からの贈り物だからです。

聖書も同じです。

あなたが神さまを愛しているのなら
聖書を読みたくなります。

読めないのは神さまを信じていないか
神さまを愛していないということです。

そして、頭で理解するものではありません。

③知ってしまうと律法に反している自分に直面する

呪術を行う女は生かしておいてはならない。出エジプト22:18

「あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。『わたしは、離婚を憎む。』とイスラエルの神、主は仰せられる。」マラキ書2:16

聖書には善と悪がしっかりと書かれています。

○○の罪を犯したものは殺されなければならない。的な感じで書かれています。

聖書を読み始めた時
「いや、これは無理や」
「こんなん生きてて楽しくないやん」
「てか、おれ罪犯しまくりやん」となります。笑

聖書を読めば読むだけ
自分がどれだけ罪人かをまじまじと告げられます。

人間は耳障りのいいことを好むので
ここで分厚い本を閉じてしまいます。

これは聖書全体の意味をしっかり理解し

旧約聖書と新約聖書の役割と
イエス・キリストと十字架の意味を理解しなければ
聖書を読んでいても苦しいだけです。

聖書を読めば読むほど
自分の罪が明らかになります。

好んで読みたくないですよね。

④真理を求めていない

世の中には真理を求めている人と求めてない人がいます。

僕の今までの経験で
名前に「真」「理」「愛」「美」「義」が入っている人は
真理を求めている人が多いイメージ。
(勝手な統計)

あと、ヨガか瞑想をやっている人。
この人達も真理を求めている人。

あと、断食する人。
間違いなく真理を求めている人。

あと、宗教を入っている人
入ってた人(自分の意志で)

言えば、真理を求めている人にしか
読めないし、与えられないようになっています。

“求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。”マタイの福音書 7章7~8節

“もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。”エレミヤ書 29章13節

真理を求めていないと与えられることはありません。

それは途方のない道のりですが求め続ければ必ず見つかります。

何をやっても満たされない心

やっていて意味があるのかという疑問

どこに向かっているのかがわからない不安

そんな話を友だちにすると引かれるし、わかってはくれません。

しかし、求めている答えは必ず地上世界にありますよ。

⑤読めないように書かれている

そもそも論なのですが、
聖書は読めないように書かれています。

というのは霊的な目を開かれていないと
聖書を読むことはできません。

文字を追うことができても
内容を理解することはできません。

すぐに眠たくなります。

聖書は肉的な目で見て読むものではなく
霊的な聖霊によって理解が深まるものです。

そもそも、読もうとして読めるものではないんです。

どうすれば読めるようになるのか?

それが悔い改めです。

罪の告白と悔い改め

神社が大好きで
いつも願い事をしに行ってました。

しかし、聖書に神社のことが書かれていたことを知り
神社のルーツはユダヤにあることを知りました。

エルサレム神殿と伊勢神宮の作りが同じであったり
神社の祓い清めとイスラエル民族の過ぎ越しの祭りとか
日本人のルーツは聖書にあることを知りました。

それから神社は願い事や祈願をする場所ではなく
「罪を告白する」場所であることを知りました。

元々のルーツはここから来ているのだと。

人間は知らずのうちに
過ちや罪を犯してしまいます。

しかし、現代は
「自分らしく〜!」
「ありのままで〜!」
「心からワクワクすることを〜!」
と言われますから、嫌なことには耳を塞げです。

しかし、自分自身の過ちや罪を告白することこそ
自分の内側を清め、本当の自由を得るための手段です。

「自分には罪がある」

スピリチュアルをどっぷりやっていた時は受け入れられませんでした。

「いやいや、俺らは神の分け御霊でそもそもは完璧なんだよ」

「罪があるとか無いとかも自分の考えで、思ったことが現実になるんだよ」

「罪も罰も人間が作り出した考えやから、善悪を統合するんだよ」

スピ病です。笑

自分に罪があると認めるからこそ
へりくだり、謙虚になれます。

だからこそ、人に優しくできるし
思いやりの心を持つことができます。

どうか、多くの人が真理に目を開きますように。

都合のいいことばかりを受け入れて
間違ったありのままを生きないように。

「自分には罪がある」

ここが人生のスタートなのかも知れません。

まとめ

僕は、真理を求めている人
現実世界に違和感を感じている人
スピリチュアルに違和感を感じている人に向けて記事を書いています。

人類の5%もいない人に向けて書いているわけで
なかなか理解できない部分が多いかと思います。

自分の好きなことをしている暇なんてありません。

どうか、あなたの魂が気づいているなら
行動に移してください。

大いなる祝福がありますように!