僕が目指すリーダー像
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の中に置かれた観葉植物をボーッと眺めていた。
(病んでるわけやないかんね!!w)

「アイシテルヨ♡」

「アリガトウ♡」

と愛する恋人に囁くように言って育てているので
グングンとでっかくなっていってます。

しかし、すべての葉が健康なのかというと
そうではありません。

ところどころ枯れた葉もあれば
落ちてしまう葉もあります。

それと同時に
幹から新たな枝が生えてきて
新たな葉を作っています。

枯れ落ちた葉を見ていると
自然の摂理を感じさせてくれます。

源から外れると生きていけない

あれだけキレイだった葉は
その幹から枝から落ちてしまうと枯れ果ててしまいます。

たった昨日までは凛とした緑の色が輝いていたのに
源から離れれば枯れ果て茶色になってしまいます。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。

人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。ヨハネの福音書15:6

僕たち人間は知らず識らずのうちに
自分で生きているように勘違いします。

しかし、大いなる存在からの
恵みと愛によって生かされていることは確かです。

たった3分も呼吸ができなくなれば死ぬし
心臓を止められればすぐに死にます。

大いなる源からの恵みを受けて
僕たちは生きているのです。

あなたは霊的な目を開いて霊的な愛を受け取り
いつまでも枯れることのない心の平安の中で生きていますか?

それは現実世界にどのようなことが起ころうと変わることがありません。

恋人がいても
仕事がなくても
お金がなくても
他人から批判されても

心の平安は変わることはないのです。

理想のリーダー像

消防士を辞めてから自営業になって右往左往ありました。

その中で自分が見えてきたのは
「リーダーになりたい」というものでした。

そのためにメンターや師匠をつけて
その人のようになろうと努力してきました。

リーダーとして慕われるためには
まず自分がしっかりとお金を稼いで誰が見ても憧れられる存在に。

人々を引っ張って努力して忍耐して、
何が何でも目標達成する。

世の中が求めるリーダー像に向かっていました。

が、どこか違和感を感じる…

でも、自分は結果も残せていないし
自分みたいに心が弱かったら信頼してもらわえれへんやろし。

「辛くても我慢する」

「しんどくても努力する」

世の中が目指すリーダー像は人の上に立つ人です。

組織をまとめ
脚光を浴び、称賛される。

「すごいね!」と言われる姿。

でも、聖書のリーダー像は真逆です。

“あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。

あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」”マタイの福音書 20章 26〜28節

有名な最後の晩餐。

イエスには12人の弟子がいました。

その最後の晩餐の前に
イエスは弟子、ひとりひとりの足を洗い始めたのです。

師匠が弟子の足を洗うのです。

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。ヨハネ13:14.15

やっぱり聖書渋すぎ!笑

イエスは聖書の中で
言葉ではなく行為によって弟子たちに示されました。

聖書が説く真のリーダーとは
人の上に立つ者ではなく、人に仕える者と説きます。

へりくだり、謙虚で憐れみに富み
そして、弟子の足を洗える存在です。

あ〜、渋い。

“「人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである」ということばは真実です。

ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。

自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。 テモテへの手紙 第一 3:1-4

人々を指導したいという人は素晴らしいことです。

しかし、その人は他人から批判されることがなく
浮気や不倫をせず、自分自身を律し品位があり、酒飲みでなく、金銭にもよくで…

真のリーダーの指針です。

真の組織のあり方

僕は、ずっとファミリーのような組織
グループを作りたいと思っていました。

しかし、世の中の組織はトップダウンで
支配者が下の人を遣う仕組みです。

ずっと、そのカタチに違和感を感じながら…

でも、実際にはどうすればいいかわからず前に進めませんでした。

しかし、いまは本当に毎日が幸せで
自分がしたかったことができています。

元々、コーチングとかカウンセリングをやっていたので
「1時間○○円!」みたいな感じで悩み解決をしていました。

もちろん、仕事なのでそれはそれでいいのですが
そんなんじゃなくてもいいんじゃないかな〜?って。

同じ目的を持って
ファミリーとして一緒に成長できれば
「○○円です!」じゃなくて。

そんなある日、
自分は天に従って生きることを決めました。

自分自身の命を天への恩返しに捧げたいと思いました。

それから同じ目的を持った仲間が集まり始めました。

そのファミリーには
時間を使いたいと思うし
悩みを解決したいと思うし
一緒に成長したいと思うし

真の組織のあり方って
こうなんだな〜って思いました。

「これだけやるから、いくらちょうだい!」

そんなんでは、もう無いんじゃないかな?

もっと大きな目的のために集う仲間は本当に尊いです。

ちょっと前までは
「これはお金にならんやん。」
と言いながら、生きていた人間なんで。

同じ目的
天に対して人生を捧げ
富の道ではなく神の道へ進み
清く生きたい方には僕は時間も労力も捧げますよ。

是非、富を手放す覚悟がある方は
一緒に成長しましょう。

まとめ

それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。

こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、 かっこうの良い器官にはその必要がありません。

しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。 コリント第一12:22-24

組織というのは、個が輝くことに全体に益がもたらされ
全体が機能するからこそ、個に益がもたらされます。

組織をカラダで例えた時に
”弱い器官”と言われているところが一番尊いのです。

例えば、僕みたいなイケイケドンドン
やいやいで神を信じる者はいらないのです。笑

神からすれば「黙っとけって!」って感じなんです。

そんなことより組織の中にいて、あまり喋らず
理解も遅く、神に対して疑念を持っている人こそ
神は尊いと言っているのです。

深く深く反省しました。

「何でわからんの?」

態度をとっていた自分を深く反省しました。

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。 1コリント第一13:1

どれだけ偉そうなことを言っても
どれだけ能力があっても
どれだけ人をまとめられる力があっても
そこに愛が無いならやかましいどらやうるさいシンバルと同じです。

「そこに愛はあるんか?」

(アイフルのCM風に)

へりくだり、謙虚になり
人々に仕えるものとなりたいですね〜

祈り

最後まで読んでくださったあなたに感謝します。

どうか人間の頭ではなく霊によって
神からの氣づきを感じるようにしてください。

神が求めるのは完全なる調和です。

分裂や恐怖、不満といったものはすべて悪魔から来るものです。

どうか、それらを私たちの中から取り除いてください。

私たちが、清く生きられるように
神の道を光で灯してください。

何が嘘か真実かわかる
真理の目を私たちに与えてください。

すべての人に大いなる祝福がありますように。