神は愛であるのに、なぜ人を裁くのか?
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陽が登り地上に光が注がれます。

この太陽は、宇宙ができてから狂うことがなく
ある秩序を保ちながら動いています。

今日は東から登ったけど
明日は南から登ってくる。
なんてことはありません。

宇宙の秩序は
狂うことなく永遠に働いているのです。

この宇宙がビックバンにより
偶発的にでき、進化論によって
僕たち、人間が生まれたのなら
あなたの生きる意味や目的はありません。

なぜなら、偶然の産物で
あなたが生まれたことになるから。

進化論を信じるなら
あなたは偶然できたモノなのです。

なんて虚しいのでしょうか。

誰もがしっかり考えればわかります。

この地は、何か大いなる存在によって創られているし
僕たちは、そこからくる恵みによって生きている。

僕たちは、お金で生きているのではないし
パンで生きているのではない。

神の恵みによって
今日も心臓が血を送り空気を吸いながら
細胞が働き生きている。

誰がこの心臓を動かしているのか?

僕たちは間違いなく
何かによって生かされている。

しかし、その存在は目には見えない。

「いるんだろうけど、わからない」

「確信できない」という人が実に多い。

それは本当に虚しすぎる。

また、ある人の疑問はこうである。

「神がこの世を創造したのならなぜ、この世はこんなにも荒れているのですか?」

「神が愛であるのなら、なぜコレほどまでの人間を苦しめ人間を裁いたりするのですか?」

「神は愛なのではないのですか?神は救い主なのではないのですか?」

確かに、神が愛であるのにここまで沈黙を保ち、
僕たち人間をほったらかしにするのでしょうか?

光も影もすべての人に平等に

太陽が地上に明かりを照らす。

その太陽は恵みである。

植物は太陽の光と地上からの水、
そして空気中の二酸化炭素を栄養に光合成し、スクスクと成長していく。

あらゆる食物、植物が
太陽の恵みによって生きているのである。

その太陽が照らすと影ができる。

光と同時に影ができるのである。

これは自然の摂理である。

ある人が精神的に病んでしまった。

その人は部屋にずっと引きこもった。

母親が外に出るように促しても外に出ようとはしない。

ずっと部屋の暗闇の中で暮らしているのである。

神はすべての人に平等な御方。

例えば、ある人には
太陽の光を与えて、ある人には影を与える
なんてことはしない。

すべての人に光と影を同じ機会を与える。

それが神の性質。

神はすべての人を愛しているから
すべての人に平等に恵みを与える。

しかし、その恵みを受け取るか
受け取らないかはその人の自由意志に次第

どれだけ引きこもりの人に
外に神の光が来ているから!と言っても
その人が意志を使って歩みださないと
神の恵みを受けることはできない。

神は愛の実現のために人間に自由意志を与えた。

神は人間が豊かになってほしいとずっとずっと思っている。

人間が豊かになる方法はただ1つで
神と共に生きること。

光を受け入れること。

宇宙の創造の始めは光しかなかった。

人間は死ぬことはなかった。

しかし、アダムとイブの堕落により人間は死ぬことが決定した。

苦しむことが決定した。神は2つの性質を持っている。

それは

神の”愛”の”義”

愛とは赦すこと
受け入れること、愛すること。

神は人間をこよなく愛している。

罪を犯しても神に背いても
神を信じなくても神はあなたのことを心から愛している。

神は人間のように
愛してくれるから愛するなんてことはしない。

神はどんなに罪を犯しても人間を愛している。

だから、すべての人に平等に恵みを与えている。

しかし、同時に神は義の御方である。

義とは正義であり
真理に沿って悪いことには裁くという性質である。

例えば、この世に法律がなかったらどうなるでしょうか?

神は創世記で
アダムとイブにこのような約束をしました。

主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。創世記2:16-17

善悪を知る木から取って食べると死ぬと約束した。
言えば、死なない体を持っていたのだ。

神は完全であり、完璧。

二言は許さないし決めた約束は必ず行う御方。

しかし、この神が
アダムとイブが犯してしまった罪に対して

「今回だけは、赦したるわ!」

「次から気をつけてや!」

と言ったらどうでしょうか?

神の威厳が無くなるし
完璧でないことの証明になる。

神は”愛”の御方であるが”義”の御方である。

罪に対して裁かなければいけない。

人間を愛しているけれども
神が決めたことは100%全うしなければいけない。

ここに神の葛藤がある。

愛したいけど裁かないといけない
という葛藤がある。

あなたを愛しているけど
あなたは生まれながらにして罪を持っているから
裁かれなければならない。

神が人間を苦しめているのではない

神が人間を苦しめているのではない。

神は人間を豊かに恵みに
生きて欲しいと心から望んでいる。

ずっとあなたのことを待っているしあなたを愛している。

人間を苦しめているのは神ではなく
人間自身である。

それは、
神がすべての人に光の恵みを与えても人間は闇を愛したのである。

盗むことを愛し、嘘をつくことを愛し
お金を愛し、欲を愛し、情欲を愛し

神なんていないと言い
人間が法律となり
自分の心が楽しければそれで良いと言った。

どうでしょうか?

今の世の中の無法地帯は。

神なんていないと言って
自分が法律になって
自分の好き勝手やっている世界ですよ

神が人間を裁いているのではなく
人間が好き好んで闇の世界を生きているのである。

人間は闇が好きなのである。

憎しみ、恨み、妬み争い、奪い。

人間が闇を愛し、光に背を背けているのである。

光の世界に入れば
永遠の命を永遠の安らぎを与えることを約束した。

光の世界へ入る道は

「神さまを信じること」

ただこれだけ。

宗教に入ってお布施をすることでも
修行で滝に打たれることでも
瞑想で悟りを得ようとすることでもない。

このような

「〜しなければいけない」

ということはすべて偽りである。

宗教は人間が作ったシステムだし
そこに永遠の安らぎは存在しない。

強制的な信仰を強いられ
脱退すると救えわれないと言われ。

神がそんなはずはありません。

神との関係はどこかに属して
誰かに言いなりになってするものではない。

自分と神との個人的な関係である

あなたが母親を愛することと同じ。

そこにお布施も修行も宗教も努力も必要ない。

この世は迷いだらけだ。

神はずっと、光の道を歩んでもらおうと
手を広げてずっと待っている。

しかし、人間に自由意志を与えた。

自由意志は究極的な愛

例えば、すべての人が
神を愛するようにとプログラミングして
地上に降ろされていたらどうだろう?

すべての人がロボットのように神を愛するのである。

例えば、あなたが子供を生んだとする。

その子供はあなたに100%服従して
ロボットのように決められてあなたをずっと愛している。

「ママをアイシテイル」

この世に自由意志がないと愛は成立しない。

愛する選択と愛さない選択があるから
愛する選択をした時に愛を実感できる。

どうですか?

この究極的な愛を。

その力を僕たちは持っているのです。

神は人間を天使よりも上の地位に付けました。
天使は選択する自由意志はありません。

僕たちには
すべてを自分で決められる自由意志が与えられたのです。

その自由意志を使って神に還って欲しいし
光の道を歩んで欲しいと願っている。

だけど、神は自由意志を尊重する。

気づいてもらうために
賢者や預言者や詩人や美術家を
これまでずっと地上に送ってきた。

だけど、人間は
それらの人を迫害し続けた。

神が人間を裁いているのではない。

人間が闇を愛し、神から背を向けているだけである。

まとめ

神は愛であり義である

この世に蔓延するスピリチュアルは
愛だけしか主張せず、モラルの崩壊を引き起こす。

義があるからこそ
正しく秩序だって運営できる。

そして、神があなたを裁いているのではない。

神は恐れる存在ではない。

心からあなたを愛しているし
あなたを祝福しようとしている。

だけど、あなたは神を疑い、信じず、目を背ける。

「自分は神になんて愛されない」

「私は罪ばっかり犯しているから」

神を恐れ、神の御顔を見ることができない。

しかし、神は
あなたの罪をすべて赦すと約束した。

それがキリストが生まれた意味だし
キリストが十字架に架かった意味。

人間は自ら闇を愛し
自ら闇の中の裁きを受けている。

裁きから抜けるためには
光の世界に行くしか方法はない。

それは宗教に入ることでも
お布施をすることでも
修行をすることでもない。

これらはすべて偽りである。

あなたと神さまの個人的な間柄を取り戻すだけ。

自分の罪を告白し懺悔し、悔い改める。

光の道を行きたいと祈り恵みが欲しいと祈る。

もし、あなたが神に向けて祈るなら
赦される体感が得られるでしょう

これまでは得られることのできなかった
究極的な安心感が心に突き刺さる

セックスをしても気持ちいいのはその時だけで、
どれだけ稼いでも足りず、何をしても飢え乾き足りなくなり
またお金やお酒、恋人、セックスでその穴を埋めようとする。

しかし、それは埋めることはできない。

僕たちは神から愛によって生まれたのだから
神を体験して初めて永遠の平安を得ることができる。

必要なことは
僕を信じることでも
宗教に入ることでもない

神を信じ神に対して謝罪し祈りを通して神と交わり
誰にも侵されることのない神の体験を心ですることである。

真理は頭では理解できない。

祈りは神を体験できる唯一の行い。

あなたに大いなる祝福がありますように!

神さまはずっと待っていますよ