『あなたにとって大きな石とはなんですか?』
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る日、権威ある先生が
30名ほどの生徒に向かって話し始めた。

「さあ、お前たちにクイズだ」

先生はそう言って大きな壺を取り出し教壇に置いた。

その壺に、
彼は握りこぶしぐらいの石を一つ一つ詰めた。

その石で一杯になると彼は生徒に聞いた。

「この壺はもう満杯かい?」

生徒たちは口を揃えて「はい!」と答えた。

先生は「本当かい?」と笑みを浮かべた。

先生は教壇の下から
バケツ一杯の砂利を取り出した。

そして、その砂利を壺の中に流し込み、
壺を揺すりながら、石と石との間を砂利で埋めていった。

そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯かい?」

すると

「・・・・」

生徒たちは沈黙した。

ある生徒が勢いよく手を上げて言った。
「先生!多分違います」と答えた。

先生は「多分ってなんだ?」と言った。

生徒たちはその言葉に笑った。

その後、先生は「そのとおりだ!」と答えた。

そして、今度は教壇の陰から
砂の入ったバケツを取り出した。

その砂は浜辺に広がるサラサラの砂だった。

それを石と砂利の隙間に流し込んだあと、
三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれで一杯になったのかい?」

生徒たちは困惑した。

先生はまた笑いながら
バケツいっぱいに入った水を取り出し、
壺のふちまでなみなみと水を注いだ。

「僕が何を言いたいかわかるかな?」

ひとりの生徒が手を上げた。

「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすればいつも予定を詰め込むことが可能だということですか?」

「それは違う」と先生は言った。

「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれているのは、大きな石を先に入れない限り、それが入る余地は、そのあと二度とないということなんだ。

君たちの人生にとって、大きな石とはなんだろうか?

それは仕事であったり志であったり、愛する人であったり、家族であったり、自分の夢であったり。ここで言う大きな石とは、君たちにとって一番大切なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。

さもないと君たちは、それを永遠に失うことになる。

もし君たちが小さな砂利や砂、つまり、自分にとって重要度の低いものから自分の壺を満たしたならば、君たちの人生は重要でない何かで満たされたものになるだろう。そして大きな石、つまり自分にとって一番大切なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。」

『君にとって大きな石とはなんだろうか?』

霊的に目を醒ませ

僕たちは肉体として現実世界を生きています。

しかし、本質的には霊的な存在です。

本質は霊にあり
神の恵みによって生かされています。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つのことばによる。」 マタイの福音書 4章4節 

僕たちは、経済活動をしてお金を稼ぎ
ご飯を食べて生きています。

多くの人が欲求さえ満たせば生きていると考えます。

しかし、肉的な欲求は終わりがありません。

美味しいと思っても、また食べたくなり
物欲を満たしても、また欲しくなり
理想の女性とセックスをしても一時的で
肉欲は一時的に満たされても
飢え乾き、また欲しくなるものです。

「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ人の子があなたがたに与えるものです」ヨハネの福音書 6章27節

もし、霊的に盲目で唯物的な生き方をしているなら
永遠に残るもののためには生きられません。

必ず廃れ無くなってしまうものに
時間と労力を使うことになります。

欲を否定しなさいという話ではなく
霊的に目を開け、本当に大切なもののために生きるのなら
一生乾くことのない、心の平安を得ることができます。

『あなたにとって大きな石とはなんですか?』

富が先か?神が先か?

さて、このブログを読むあなたは
霊的に覚醒しているか、霊的な活動をしようとしている人でしょう。

本質的には、世の中的な経済活動ではなく
霊的に人々を導きたいと思っているはずです。

ですが、経済活動と霊的活動が
ガッチリと結びついていません。

経済活動を取れば霊的活動はできなくなり
霊的活動をすればお金が無くなり生きていけなくなると勘違いしています。

こんな興味深い調査があります。

この調査はビジネススクールの卒業生1500人を対象に、
今すぐ夢を追いかけるか、それとも、ず先に経済的な安定に役立つ職業を選ぶか」という質問をぶつけました。

この質問に対して
1500人のうち83%、1245人は「経済的な安定を確保してから夢を追いかける」と回答しました。

「すぐに夢を追い、お金のことは後で考える」と回答したのはたった17%しかいませんでした。

この調査が面白いのは、それから20年後。

夢だった仕事を選んだ卒業生255人のうち、100人もの人、約2/3の人が大富豪になっていたのです。

逆に、収入第一で仕事を選んだ卒業生1245人のうち、最終的に大富豪になっていたのはわずか1人だったそうです。

ここからわかることは
今すぐ夢を行動に移せば成功する確率は39%、
経済的な安定を優先すれば、その確率は0.08%

あなたはどちらに賭けますか?

経済的安定を作ってから霊的活動をしますか?

『あなたにとって大きな石とはなんですか?』

聖書はやっぱ渋すぎる。

僕自身もすごい葛藤がありました。

霊的に人々に氣づきを与える活動を
この人生を通してやっていきたいと思っていました。

しかし、生きていかないといけないし
経済活動をしていかないといけない。

まして、スピリチュアルや霊的なことを
発信しても、人ってまだ興味がないだろう。

そもそもこんな霊的なこととか
神さまとか言ってると変なヤツだと思われないか。

そのような葛藤の中がありました。

そんな中で、大きく吹っ切れる原因となったことは
自分には信じる心が無いことに気付かされたからです。

僕たちは霊的に盲目だと
目に見えないものを信じることはできません。

だからこそ、目に見えるものを追いかけるし
努力といったことで自分で何とかしようとします。

それは例えるなら
上から垂らされたロープをひたすら登っているようなものです。

登れど登れど幸せにはなれません。

世間的には

上に登れば幸せだよ〜

お金があれば幸せだよ〜

多くのものを所有すれば幸せだよ〜

と誘惑されます。

心の中で上にいっても幸せになれないことを感じています。

しかし、止まることも手を離すことも怖いのです。

実は、下で神さまが手を広げて待っていたらどうでしょう?

あなたは手を離せますか?

僕は、それができなかったし
信じられなかったし、自分で何とかしたかったんですよね。

自分が褒められて
自分に栄光があるように
自分が影響力を持って
自分が満足できるようにと。

でも、たった100年も無い人生で
自分はどう生きたいのか?

結局は死ぬ世界で
何を残して死にたいのか?

自分の心は何を求めているのか?

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。ヨハネの福音書 6章35節

人は目に見えるものを信じられません。

どんなに神さまが守っているからと言われても
なかなか現状から手を離すことはできません。

しかし、聖書を読めば読むほど
「渋っっっ〜〜〜!」ってなります。

ここ、努力じゃなくて信じるの?
頑張るんじゃなくて信じるの?

激渋!!!!笑

やはり誰もしない選択をしたいのか
神の道を進みたいと思えました。

その理由は
「聖書通りに生きるとか渋い!」
と思ったからです。笑

『あなたにとって大きな石とはなんですか?』

まとめ

周りには同年代の友達があまりいないのですが、
ある友人から言われた言葉があります。

「たくまくんのやってることは終わりの無いことやん。
そんなことやっても答えないし、やる意味あるの?」

その当時は、言い返すことができなかったですが。

今の僕は確信を持って言えるのですが、
終わりがないこと(キリがない事)ではなく
永遠のいのちを得るものだと思っています。

もし、この世が100年という唯物的な短い時で終わるなら
欲を満たし、やりたいことだけをやっていればいいと思いますが
なかなかそうとは思えません。

僕たち人間は肉体に魂が宿り、霊によって生きています。

肉的な欲を満たすためだけに
この世があるのなら、なんと虚しいことでしょうか?

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。

あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」マタイの福音書 6章24節

激渋ではないでしょうか?

あなたは富に仕えるの?

それとも神に仕えるの?

どちらも両方を得ることはできないよ?

富を愛せば神を退け神を愛せば富を退ける。

肉的な命を取るのか?

霊的な命を取るのか?

渋すぎ!!!!www

神は中途半端を赦してくれませんね。

『あなたにとって大きな石とはなんですか?』