自分を責めてしまうあなたへ
Pocket

んで、こんなにもできないんだろう?」

変わろうとしているのに変われない自分
「やる!!」と決めたのに続けられない自分
人の意見に振り回される自分

こんな自分を見れば見るほど嫌になってくる。

そして、決まったように自己否定。

自分を責めたり
自分で自分を裁いたりしていませんか?

今回は、その呪縛から解放されましょう(*´ω*)

自己義認と信仰義認

聖書は人類の創造のお話である創世記で幕を開けます。

あなたもご存知の通りアダムとイブの物語です。
アダムとイブが罪を犯しエデンの園から追放されます。

その後、イブは2人の子供を授かります。

兄:カイン
弟:アベル

人類の始めは人間は神とともにありました。
(今もそうですが、多くの人が神を信じていない)

そして、カインとアベルは神に捧げものをするのです。

ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た、主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。

だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。創世記4章3-5

兄弟2人が神に捧げものをしました。

しかし、神は弟のアベルの捧げものは受け取ったものの
兄のカインの捧げものは受け取らなかったのです。

あなたはどう思いますか?

「神さまはなんて不平等なんだ‼」
「神さまは好き嫌いをするのか!?」と思いますか?

あなたが、カインの立場ならどうでしょうか?

神が意図していることがわかりますか?

そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。

あなたは正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」

しかし、カインはアベルに話しかけた、「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。創世記4章6-8

カインにはこの意味が理解できません。

僕たちと同じで自分が嫌われていると解釈して弟を殺しました。

まさに、今の僕たちを見ているようですね。

神は何を伝えたかったのでしょう?

それが自己義認信仰義認です。

アベルは信仰によって神に捧げものをしました。

信仰義認とは主権は神にあり、
善悪はによって判断されてるというものです。

カインは信仰による捧げものではなく
自分の行いを自分で良しとして捧げました。

これが自己義認です。

自己義認とは主権は自分自身になり良い悪いの判断基準が自分にある。

自分が良いと思ったことは良くて自分の基準に反するものはダメ。

神を締め出し自分自身が神になっている状態です。

少し考えてみてください。

あなたは自分のことを自分で正しいと決める
自己義認的な生き方をしていますか?

それとも

自分の正しさは神が決めるという
信仰義認な生き方をしていますか?

もし、自己否定をしたり
自分自身を責めているのであれば
自分が神になっているのかもしれません。

赦したいけど赦せない

人間は愚かですから
嫌な人を見たり、嫌いな人をみる裁いてしまいます。

“さばいてはいけません。さばかれないためです。

あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。

また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。

兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。マタイの福音書7章1-5

人を裁いているとは、自分の中の罪に気づいていない状態です。
そして、自分を責めるということは自分自身が神になり自分の判断基準で自分を裁いているということです。

世の中ではちょっと解釈が違った
「ありのままで生きよう‼」が蔓延っています。

ありのままとは自由に楽に生きることではありません。

良い悪いを自分で判断することではなく自分で裁きを行うのではなく、
起こった出来事を認めて神さまに「ごめんなさい」をする生き方です。

愛とは何でしょう?

こんなことを勉強すれば
受け入れること、認めること、赦すこと
と習います。

しかし、どれだけ
愛が深い自分になりたいと思ってもなかなか難しいです。

幼少期から受け入れてくれなかった母親を赦したいけど赦せない。

良い経験だったと思えるけど、どうしても元恋人を赦せない。

DVをしてきた父親を赦せない。

自己啓発やスピリチュアルでは
「赦しましょう‼」と言われますが…

「赦されへんから悩んでんねん‼」って感じですよね?

そう、赦せないんです。

僕たち人間は赦せないんです。

まず、ここを理解してください。

だから、赦そうとしないでください。

赦せない。

自分の今の器では赦せないと認めることです。

そして、本当は目の前の人を赦せないのではなく
「赦せない自分を赦せない」のです。

こんな自分は情けない
こんな自分は愛されない
こんな自分は愛がない

と自己義認で自分を裁いているんです。

そうじゃないんです。

あなたが目の前の人を赦すのではないんです。

主権は神にありますから神が目の前に人を赦してくれるのです。

あなたが頑張って、努力して赦そうとしなくていいんです。

なぜなら、神は目の前の人を赦せない自分を赦してくれるからです。

神がどんなあなたでも赦してくれる。

これを心で理解すれば
自然と赦せない人を許せるようになるんです。

弱い自分こそ祝福を受ける

世の中は弱いあなたを受け入れてはくれません。
競争に勝てないあなたを受け入れてはくれません。
逃げようとするあなたを受け入れてはくれません。

あなたは現実世界に調和しようとすればするほど苦しみが生まれます。

それは、正常な反応です。

なぜなら、世の中は悪に満ちているから。

自己義認で自己中心的でエゴを満たすために人は生きています。

それが人間です。

現実と合わせようとすればするほどしんどいのです。

心は荒んで正直者がバカを見るんです。

なぜなら、この世を支配しているのは悪ですから。

しかし、希望はあなたが弱いことです。

心に傷があることです。

それが希望なのです。

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。”コリント人への手紙 第二 12章9-10節

目に見えない力は弱さのうちに現れます。

例えるなら自分で車を運転するのか自動運転なのかです。

自己実現は自分で運転しないといけませんから
努力をして、スキルを身に付け、忍耐が必要です。

しかし、神を軸に生きるとは
与えられるものに感謝をしながら生きることです。

自動運転は、「運転してくれる!」と信じるだけです。

運転してくれるんです。人生をうまく運んでくれます。

なぜなら、あなたは神から創られた最高傑作だからです。

まとめ

自分で自分を責めてしまう。

これは、自分自身が神になっている状態です。
自分自身が神になるって悪魔を一緒ですよ。

そうではなく、できない自分を認めて
「ごめんなさい!!」をするんです。

「また、やっちゃった。ごめんなさい。」

これだけです。

“わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。”イザヤ書 43章4節

“いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。”テサロニケ人への手紙 第一 5章16-18節

裁いてしまう自分を裁かずできない自分を裁かず
素直に「ごめんなさい」できる自分になりましょう。

祈り

今回のメッセージで自己義認で生きている自分に気づくことができました。

自分が決めた基準で自分を責めてしまう私をお赦しください。

どうか、神の愛を受け取れない心を作り変えてください。

不安ではなく、安心を
欠乏ではなく、満足を
恐怖ではなく、愛を
批判ではなく、受容を

できるように力を貸してください。

世の中の思い煩いから解放してください。

多くの人から苦しみがないように。

豊かさと祝福が多くの人に与えられますように。

そして、九州豪雨の被害が甚大なものにならないように。

御手が共にあるように。