
梅雨が明けないドンヨリとした東京で、あるニュースが目に飛び込み、衝撃を受けた。
三浦春馬さんの自殺。
会ったこともないし関係もないけど、国民的スターが自ら命を絶ったことの衝撃が大きかった。
もちろん、赤の他人が人の人生をとやかく言うつもりもないですが、同じ過ちを繰り返さないように少し考えてみませんか?
警視庁の調べによると日本では年間約2万人の人が自ら命を絶っています。
恐らく、自殺と判断できない人は加算されていないので、少なく見積もっても4万人は自ら命を絶っているのではないでしょうか?
想像してくださいね。
今日、50人が自ら命を絶つのです。
そして、明日も50人。明後日も50人。明々後日も50人。
この日本の国で豊かな国で、毎日50名の人が自ら命を絶っている現実です。
「何で自ら命を絶っちゃいけないの?」という質問をされたら、あなたは何て答えるでしょう。
僕は「悲しむから」とか「残された人、両親が悲しむから」としか言えないな〜って。
自殺が増え続けるのは、もちろん、生きにくくなった世の中の影響もありますが、やはり教育の問題だと思っています。
家庭内教育と学校教育。
自殺が多いのは”命の主権がどこにあるのか”を知らないからです。
あなたは命の主権は誰にあると思いますか?
あなたの命の主権はどこにあると思いますか?
多様化した世の中で、多くの考えが入り交じる世界情勢ですから生きるのも自由だし死ぬのも自由という考えもあります。
僕自身も、鬱で死にたくなった時に「別に生きるも死ぬも自分の自由じゃない?」と思ってました。
要するに、命の主権は自分にあるという考えです。
命の主権が自分自身にあるのなら、生きるのも自由ですし、死ぬもの自由です。
しかし、命の主権は人間にはありません。
あなたが自ら命を絶ってはいけない理由。
それは、命の主権は天の神さまにあるからです。
あなたを創った天の神さま

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。”エペソ人への手紙 2章10節
あなたが自ら命を絶ってはいけない理由は、あなたは神が創った作品であり、最高傑作だからです。
あなたのデザイナーは神です。
神によって美しく完璧に創られたのがあなたです。
イメージしてください。
あなたが、心を込めて愛を持ってロボットを作りました。
高性能で人間とお話することができる。愛を持って愛を込めて丁寧に丁寧に作りました。
時間を掛け、費用を掛け、汗を流し、そのことに熱中してロボットが完成しました。
では、このロボットの主権は誰にありますか?
あなたですよね。
あなたが作ったから、壊すのもあなただし、生かすのもあなたです。
誰かが、そのロボットを壊そうものならあなたは激怒しますよね。
ロボットが自ら壊れることなんてどう思いますか?ロボットに主権はないのです。
主権はそれを作ったデザイナーにあります。
“わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。--神である主の御告げ--だから、悔い改めて、生きよ。”エゼキエル書 18章32節
神は誰が死ぬことも喜ばないと言っています。
あなたが死ぬことを喜ばないし「生きよ!!」と言っています。
生きづらい世の中

しかし、人生を生きていると嫌なことに直面するし、どうすることもできないことだってあります。
真面目に生きれば生きるほど、生きづらくなるのが世の中です。
「神の最高傑作」「神の作品」と言われても死にたくなるのは死にたくなりますよね。
だって、神の作品だって、目の前の辛い現実は変わらないし毎日が辛すぎて。
争いは日常茶飯事で暴行や嘘偽りが蔓延る世界。
どれだけ努力しても、不正と賄賂とコネで成り立つ世の中です。
そりゃ、真面目に生きれば生きるほど生きづらいに決まっています。
なぜなら、この世を支配しているのは悪魔だから。
“その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。”コリント人への手紙 第二 4章4節
「この世の神」という言葉があるようにこの世の神とは悪魔のことです。
悪魔が支配しているのが、この世ですから生きづらいくて当たり前です。
“キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。”ガラテヤ人への手紙 1章4節
この世を「悪の世界」と言っています。
不正、賄賂、コネ、能力主義で、仕事ができなかった認められない。容姿と地位によって身分が決まる世界。
オカシイでしょ。
だから、生きづらいと思うことは、間違っていないし、正常な反応なワケです。
あなたがオカシイのでも変わっているのでもありません。
この世の中が狂っているのです。
だからといって、自分で命を絶ってはいい訳ではない。
この世を生きていくしかないのです。
じゃあ、この希望のない世界でどうやって生きていけばいいのか?
天の神さまに拠り頼む

イメージしてください。
あなたが人間を作ったとします。最高傑作であり、あなたの作品です。
まず、この人間を苦しめたいと思いますか?
思いませんよね。苦しみから救ってあげたいと思いますよね。
あなたは人間と愛の関係を築きたいから、自由意志というものを与えました。
自由意志とは、人間は人間を創ったあなたのことを愛する権利も持っていて、同時に人間を創ったあなたのことを愛さない権利も持っているということです。
自由意志を与えたからここにルールができあがります。
それは、無理やり人間をイジれないということです。なぜなら、愛が成立しないから。
例えば、自分が作ったサクラちゃんが全然自分のことを愛してくれないから腕を掴んで、「愛せよ!バカヤロー!」「創ってやったのに!」っていうのはできないってことです。
ルールは、助けを求めて来た時にだけ手を貸すことができるということです。
“義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。”詩篇 4篇5節
“心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。”箴言 3章5節
“あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。”イザヤ書 50章10節
神はあなたが1人で悪の世界を生きて欲しいなんて思っていません。
神に拠り頼みなさい。
と言っています。
求めなければ、神は力を貸すことはできません。
だから、辛い時は、自分の努力で頑張るんじゃなくて忍耐して耐えるのではなく、神に頼るのです。
“主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。”イザヤ書 55章6節
“主を求めて生きよ。さもないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下り、これを焼き尽くし、ベテルのためにこれを消す者がいなくなる。”アモス書 5章6節
“求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。”マタイの福音書 7章7節
求めなければ与えられることはありません。
自分、1人で抱え込むのではなく、友人がいない、喋る人がいないあなたでも主に向かって求めるのです。
頑張らない。ひとりで悩まない。

何かをしなければ認められない世の中で、頑張らなければ評価されない世の中で本当に疲れますよね。
そりゃ、死にたくもなります。
でも、天の神さまはあなたが死ぬことを望んでいない。
だからといって頑張って生きろ!!とも言っていません。
“すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”マタイの福音書 11章28節
天の神さまはずっと手を伸ばして待ってくれてるしずっとあなたのことを愛しています。
“「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」”エレミヤ書 1章5節
生まれる前から、あなたのことを知っているのは天の神さまだけです。
本当に本当にダメなら天に向かって祈ってみてください。
必ず、あなたの胸の中に言葉にできない答えを教えてくれますよ。
まとめ
自殺の根本原因は
「自分には生きている価値がない」
という自尊心の低さです。
社会は価値を「何をしたか」という行動やステータスで図ります。
そんなワケ無いでしょ。
人は生きているだけで価値があるし、何もしなくても価値は変わらない。
これこそ、家庭で行われるべき教育だし、先生、教師が教えていくべきことでしょう。
時代はドンドンと暗闇の中に入っていきます。
その中での希望はあなた自身です。
命よりも大切なことはありません。
誰になんと言われようとあなたには価値がある!!!!!!!!!!!!