苦しい現実をガラッ!!と激変させる”禁断の御言葉”
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好きな恋人にフラれたり
仕事場の上司の怒られたり
家事や育児で忙殺されたり
車のタイヤがバーストしたり
財布を落としたり

感情的になって心が乱れ
イライラをすることってありますよね?

人生は山あり谷ありですから
感情的になったり、怒ったり、不安になったり
恐怖を感じたりするのは日常茶飯事です。

しかし、その度に心が沈んだり
感情を取り乱しているのはしんどいですよね。

「優しくなりたい」
「もっと愛を表現したい」
と思っている人にとっては
そんな自分を否定してしまいますよね。

「怒ってはいけない」
「こうであってはいけない」って。

今回の記事では
苦しい現実に直面したり、
試練の中にある人へ
大切なメッセージをお伝えしたいと思います

苦しみや試練を乗り越えられる
キッカケとなれたら光栄です

試練はこの上ない喜び

“私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。”ヤコブの手紙 1章2節

大なり小なり試練はありますが
人それぞれ苦しみの許容度は変わってきます。

聖書では、試練や苦しみを
この上のない喜びとしなさいと説きます。

あなたに質問です。

最近、この上のない喜びに包まれたのはいつですか?

それってどんな時ですか?

愛する子供が生まれてきた時でしょうか?
仕事で目標を達成したときでしょうか?
愛する恋人と結婚した時でしょうか?

この上のない喜びです。

心がワクワクして
顔がニンマリするような出来事です。

って考えても
なかなか出てこないですよね。笑

しかし、そのような試練や、
苦しみがきたら「喜びなさい」と言っています。

苦しみや悲しみを喜ぶ?
それはなぜなのでしょう?

成長には忍耐が必要不可欠

“その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。”ヤコブの手紙 1章4節

スピリチュアルにどっぷり浸かっていた僕なので
忍耐という言葉が大嫌いでした。

無責任だった僕は、
「辛いことはしなくていいよ」
「やりたくないことはしなくていいよ」って
平然と言ってました。

「ありの〜ままの〜」
「自分を受け入れましょう〜」が世の中の流行なので
「忍耐‼」と言ってしまうとお客さんが来なくなるので禁句でした。

本当に好きなことだけをして
忍耐を避けて生きていけばいいのでしょうか?

イメージしてください。

あなたは子供を持つ親です。

子供を育てるために
教育をしていく必要があります。

自分の子供を育てる時に
「好きなことだけをしなさい」
「嫌なことはやらなくてもいい」と言いながら育てるでしょうか?

もちろん、自尊心を高めるために
「あなたはありのままで素晴らしい!」
「あなたには価値がある!」
ということは教えるでしょう。

しかし、ありのままで素晴らしいということと
何でもやっていい、好きなことだけをやっていればいい
というのは別の話しです。

世のスピリチュアルなどの教えは
ここを混同しているんです。

「ありのままで素晴らしい」ですが
「善も悪も何もなくて、何でもOK」ではないんです。

良識ある親だったら
何が善で何が悪かを教え
時には我慢や忍耐を教えます。

なぜなら、それが
将来のその子の成長になることを知っているからです。

皮肉にも書店でベストセラーになるのは
長期的な人間の成長を促す本ではなく

「いま、この瞬間」が救われた気になる
快楽と快適を促すモノばかりです。

本当にあなたのことを思っている人は
世間からは受け入れられない厳しい人かもしれません。

試練の中で明らかになるモノ

人間の本性は
試練や苦しみの中ではじめて明らかになります。

「お前のことを愛しているよ‼」と言っときながら
いざと言う時に、いなくなる男性はたくさんいます。笑
(男性諸君、ごめんなさいしましょう。笑)

試練の中で、はじめて自分が本当に信じているものが明らかになるのです。

最近、聖書が本当に面白くて読んでいるのですが、本当に勉強になるんです。
(キリスト教徒でも、どこかの宗教に属している人間ではありません)

自己啓発やスピリチュアルを勉強している方は、
聖書一冊で大丈夫です。

本当に!!

経営学や組織論、リーダーシップ論
結婚、恋愛、愛、人との付き合い方、スピリチュアル
霊的世界、心理学

これ全部が聖書一冊にまとめてあるんです。

聖書=キリスト教は
ただの洗脳教育です。

そんな聖書のお話を例に挙げます。

イエスの弟子にペテロという人物がいます。

この人物は、一言で言えば、
口だけ達者のオッチョコチョイ野郎です。

イエス・キリストが天へと凱旋した後は、
伝道者として福音を述べ伝えるキーパーソンになったのですが。

これはイエス・キリストが十字架に架かる前日の会話です。

イエスは、
「明日、私は死ぬ」と言いました。

すると、

“シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」”ルカの福音書 22章33節

ペテロ「イエス様〜!!すべての人が裏切っても私だけは、あなたに着いていきます〜!!イエス様〜!!あなたのためなら命を捨てます〜!!」

しかし、イエスの回答はこうです。

“しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」”ルカの福音書 22章34節

話しはこうです。

ペテロは、イエスが死ぬなら
わたしも一緒に死にますよ!!と言いました。

しかし、イエスは未来を予言して
「あなたは私のことを3度知らないと言います」

と言いました。

さて、この後ペテロはどうなったと思いますか?

言ったことを忠実に守ったのでしょうか?
イエスの死とともに、自分も死んだのでしょうか?

この後、ペテロは
イエスが連行された敵の敷地内へ忍び込みます。

そして…
門番に声を掛けられ、

“ところが、ペテロはそれを打ち消して、「いいえ、私はあの人を知りません」と言った。

しばらくして、ほかの男が彼を見て、「あなたも、彼らの仲間だ」と言った。しかしペテロは、「いや、違います」と言った。”

ルカの福音書 22章57~58節

“しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。”

ルカの福音書 22章60節

残念ながらイエスの予言通りになってしまいました。

ここから学ぶことは、
試練の中にある時、苦しみの中にある時
「自分が本当に信じていることが明らかになる」と言うことです。

試練が無ければ
自分が本当に信じているものを知ることはできません。

そのように考えると試練や苦しみとは、
あなたが本当に大切にしているものを
気づかせてくれるチャンスではないでしょうか?

試練は神に愛されている証

最近、周りの人が
試練や苦しみだらけで相談に乗ってましたが
ようやく僕にも試練がやってきました。

人を導く者として、学んだことを共有しながら
共に歩んでいる仲間がいます。

仲間のために時間を割いて
仕事もせずにサポートとフォローに力を注いでいます。

学んだことを良かれと思って
グループで共有していると…

「◯◯さんが退出しました。」
「◯◯さんが退出しました。」
「◯◯さんが退出しました。」
(ライングループね)

いや、待って待って。
善意を持ってやっているのに
声掛けもなく続々と消えていく。笑

この瞬間、僕の肉は騒ぎ出す。

「いやいや、誰のためにやってると思ってんの?
ホンマやったら仕事として、お金もらってやるのが普通やのに
そんなんやったら、何もせえへんわ!!」

「良かれと思ってやってんのになんなん?逆に感謝するやろ?」

罪ですねぇ〜笑
超腹黒です。笑

試練にあった時に
自分の本性が明らかになりますね。笑

世の中的なサークルや普通の仕事だったら

「無視。終わり。」
「金もらわんかったらやってられん」ですが、
神が望んでいるのはそうではないと。

そもそも、自分が偉いと思って誇ることでもないし
「やってあげているスタンス」がお門違いなワケで。

逆にやらせていただいていることに
感謝することこそ、神が望んでいることでしょう。

反省です。
悔い改めですね。

利害関係、お金云々ではなく
真心を持って、愛を持って
真摯に向き合えるかどうか。

“あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。

あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。

マタイの福音書 20章 26〜27節

神の道は世の中と真逆ですね。

超渋い。。劇渋っっ。。
こんなんに燃える。萌える。笑

自分の中にある罪を認めて
こう思ってしまう自分を悔い改めて
しっかりと愛を持って対話しようと思います。
(聖書と出会う前は「面倒くさ」と思って絶対やらんかった)

ふと、思ったことは
本当に人を愛することって難しいなと。

ましてや大人で
ましてや赤の他人で

その人に愛を持って接するって
本当に難しい。

「知らんやんけ。」
「自分のことは自分でやれよ!」
ってなってしまう。

組織の中にいた時に
上司に対してずっと思っていたことは、

「なぜ、この人ってもっと歩むよってくれないのだろう?」
「もっと愛を持って接してくれたら、みんな心から言いたいことを話せるのに」と。

実際、自分が上司の立場になって
同じことをやっているな〜って気付かされるワケですよね。

「やいやい言うてたんやから、お前がやってみろ!」
って言われてる感じです。笑

与えられた試練を
この上のない喜びとして向き合っていくことこそ
神があなたに望んでいることです。

その先には成長があり
あなたも知らない神の計画があるのです。

まとめ

“あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。”コリント人への手紙 第一 10章13節

この上ない喜びとすることはなかなかできません。

しかし、「乗り越えられない試練は自分の前には来ない。」
というように試練と同時に出口を備えてくださっています。

“神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。”ローマ人への手紙 8章28節

今までの人生を振り返って見てください。

「あの時があるから、今の自分がある」
「最終的には何とかなっている」

どんな苦しい状況でも
最終的には益になるように計画されています。

落ち込むこともあるでしょうし
苦しむこともあるでしょうが一呼吸を空けてみてください。

明けない夜はありません。

そして、試練がたくさん与えられる人ほど
神に愛され、そして大きな役割を担っています。

試練の中での忍耐がなければ人は成長しませんから、
その成長の先に与える役割、使命が大きいのです。

“すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。”

マタイの福音書 11章28~29節

神はあなたが心から
神を求めることを望んでいます。

なぜなら、
それこそがあなたが光り輝き
世の中の光となれる唯一の道だからです。