聖書とキリスト教の違い。僕らはずっと騙されている
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天に雷が直撃したような衝撃を受けた。

2020年5月10日
辞書のように分厚くて重い聖書を手に取り、
おもむろに1ページ、2ページとペラペラとめくり始めた。

すると、間髪入れずに
雷が落ちたような衝撃が僕を襲ったの。

「うわ、自分が探してたものが全部ココに書かれてる」

真理を求めて
宗教に入ったり、スピリチュアルを探求したり
自己啓発から心理学、脳科学、オカルト、波動などなど
あらゆることを勉強してきました。

しかし、最後に残るのは1%の違和感

「ん〜…納得いかない」

そんな中で手にとった書物
聖書には、僕の求めているものが全て書かれていた。

「うわ!全部書かれてるやん!!」
「最初から言ってよ〜(泣)」

そんな衝撃的な出会いから
僕は聖書に虜になってしまった。

スピリチュアル系、ワクワク系、
潜在意識系、引き寄せ系の情報を発信していた僕が
突然、聖書を語るようになって読者は驚かれたはずです。

そして、多くの人が疑問に思っているはずです。

「安田くん、とうとう宗教をはじめたんだ。」

霊的な目が開けていない僕たちは
物事の本質を見極める力がありません。

あらゆる洗脳により
事実、真実とは違うことを信じて生きています。

その最たるものが
「聖書=キリスト教」です。

僕自身も聖書を勧められた時に

「キリスト教は辞めてくれ!」
「宗教はもうコリゴリなんだ。」

と思っていました。

しかし、
「聖書=キリスト教」の洗脳が解けた瞬間
すべての辻褄が合ってしまったのです。

僕は、どこかの宗教に属しているワケではありません。
キリスト教会に属しているのでもありません。

ただ、聖書を生きる指針として
聖書に沿った人生を生きているだけです。

宗教を否定するつもりも批判するつもりもありません。

事実、何かを信じる心はとても素晴らしいです。
人は何かを信じて生きていますから。

しかし、信じる対象を誤ってはいけません。

その信じる対象が悪の力によって歪められ、
盲目的に信じさせられていたらどうでしょう?

僕は、何も強要するつもりはありません。

しかし、中立的な立場で
俯瞰して事実を見てください。

すると、僕たちがどれだけ長い間
騙されていたかがわかってきます。

霊的な目を開けたい方は
続きに進んでみてください。

読み終えた後に「聖書=キリスト教」という
呪縛から解放されていることでしょう。

聖書のはじまり

聖書という言葉を聞いたことがない人はいないはずです。

しかし、「聖書=キリスト教」のイメージが強すぎて
手に取ることが億劫になってしまいますよね。

聖書は、世界最古の書物です。
(ここから、サラッとスゴいことを言っていきますよ〜)

”The Book”というのは聖書という意味です。

いわゆる”本の中の本”という意味です。

印刷機は聖書を印刷するためにできました。
本屋は、聖書を並べるためにできました。

聖書を一言で表すなら
この言葉が一番適切です。

「神があなたに送ったラブレター」です。

なぜ、このようなことが言えるのでしょうか?

聖書は66巻の巻物が一つになった本です。
あの分厚い本に66巻の巻物が入っているイメージです。

その内訳は
・旧約聖書39巻
・新約聖書27巻

旧約聖書には
イスラエル民族の歴史が書かれています。

新約聖書には
イエス・キリストの生きた証が書かれています。

この本が執筆されたのは今から3500年前です。

しっかりイメージしてくださいね。

そして、1600年間かけて
あの一冊の本ができました。

わかります?
1600年掛けて一冊の本ですよ?

そして、著者は約40名です。

イメージしてくださいね。

今で例えると
西暦3600年に1冊の本を完成させようというプロジェクトです。

その40人は打ち合わせなし
時代も生まれも文化も違う人が本を書くのです。

どうでしょう?
一つの本として成り立つと思いますか?

しかし、この聖書をすべて読むとわかるのですが
一貫して辻褄が合ってしまう。

残念ながら奇跡の書物なのです。

世の中の本と
聖書の大きな違いはこうです。

世の中の本は
「人間が書いた書物」です。

残念ながら、
古事記、日本書紀も人間が書いた書物です。
古事記、日本書紀を読めばわかります。

しかし、聖書は
「神が人間に書くように命じた書物」です。

世の中には、宇宙からのインスピレーションで書かれた本がたくさんありますが、残念ながらあと10年したら無くなっています。

3500年も語り継がれる本には成りえないのです。

2000年間、学者や研究や達がこぞって
聖書を偽書としようとしました。

天地創造、ノアの方舟
イエスの来臨 etc…

しかし、粗を出そうと暴けば暴くほど
考古学的、物理学的、生物学的に
科学が聖書の中身を立証してしまうのです。

「科学が聖書に追いつく」

これが構図です。

残念ながら、
聖書をこの世から無くすことはできなかったのです。

聖書には何が書かれているのか

聖書には奥義が隠されているので
霊的な目が開かないまま読んでもチンプンカンプンです。

「初めに神が、天と地を創造…」
で眠りのスイッチが入ります。(笑)

ざっくりと聖書に何が書かれているかと言うと

「神が人間を創造した。」

「人間を創造した作者がすべてを開示します。」

「人間はこのように生きなさい」

「それが人類が豊かで平和になる唯一の道である」

デザイナー、作者である神が
人間の生きる指針を与えた本です。

神によって真理が開示されたのです。

“「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」”

マタイの福音書 22章36~40節

弟子がイエスに質問をします。

「イエス様、神さまとの約束の中で一番大切なことはなんですか?」

イエスは言われた

「それは、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、神を愛しなさい。」「そして、周りの人を自分自身のように愛しなさい」

この2つが聖書(旧約)のすべてです。

聖書には、核爆弾を落としなさい。とか
気に入らなかったら殺しなさい。とか
自分のやりたいことをして生きなさい。とか
一度くらいの浮気、不倫はOKだよ。とか
残念ながら書かれていません。

「愛を持って生きなさい」

これが一貫して
聖書を通して神が人間に送るメッセージです。

では、愛とは何なのか?
神を信じるとはどういうことなのか?
隣人を愛するとは何なのか?

それはまた別の記事で。

何が言いたいかと言うと
今の世の中は聖書に書かれていることと
真っ向から反する方向へ進んでいるということです。

なぜ、このようなことが初めってしまったのでしょう?

そのキーポイントになるのがキリスト教の始まりです。

キリスト教のはじまり

世界三大宗教は
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教です。

この3つの宗教が
戦争を起こしているのは確かです。

各宗教の細かい説明は省きます。
(どの宗教が悪いという固定概念は捨ててくださいね)

キリスト教の発端は
イエス・キリストを信仰するところから始まりました。

これは世の常ですが、
イエスは宗教を創りたかったわけじゃないですが
残念ながら、宗教になってしまった形です。

なぜなら、聖書にはイエス・キリストが宗教と真っ向から対立していることがわかります。

宗教と戦ったのがイエス・キリストです。

聖書は宗教を否定しています。聖書に精通している人は、宗教がダメなことはすぐにわかります。

イエス・キリストが死んだすぐ後は
聖書に書かれている本質が人々によって伝えられました。

しかし、100年も経たない内に
実質は歪められ異なった教えが伝播するようになりました。

その頃、現在のイスラエルの地域を支配していた
ローマ帝国が紀元380年にキリスト教を国の宗教として義務付けました。

この理由は、人々を支配するためです。

これが今のキリスト教のはじまりです。

大切なのでもう一度いいますよ。

ローマ帝国が人々を支配するために
国の宗教をキリスト教に義務付け、洗脳しはじめたのがキリスト教のはじまりです。

信仰は政治と癒着した途端に腐敗していきます。

宗教が人々を支配するために用いられ
真理が歪められ腐敗していくのです。

聖書のいいところだけを取って
「神はこう言ってるよ〜」と自らの政治利用
民衆をコントロールするために
聖書には書かれていない虚偽の内容を伝えたのです。

いわば、約2000年前から
聖書の本質的な教えは人間の手によって潰されているのです。

キリスト教は、聖書を使って人々を教えます。
聖書には書かれていないことを教えるのです。

聖書の本質は
今から約2000年前からなくなっているのです。

キリスト教は
聖書を使って嘘の情報を教えたのです。

キリスト教は全世界へ

日本は神道の国です。

神の国ですね。

神道に次いで、仏教も盛んです。

キリスト教の伝播は日本にも届きました。

さて、今、日本にあるキリスト教の本質はどうでしょう?
(特定の宗教を批判するつもりはありません。人々の信仰を否定するものでもありません。)

教えを忠実に守っている
キリスト教もあると思います。

しかし、歴史を遡れば
日本に広まったキリスト教は反日です。

いわば、日本の文化を壊すために入ってきたのです。

キリスト教に属している方は
度々、神社の鳥居をくぐれません。

これは、神社参拝は
聖書に書かれている偶像礼拝に当たるというものです。

しかし、神の国、日本の
伝統と文化は神社にあります。

その神社を参拝できないようにする。

これこそ、日本の文化破壊が目的です。

残念ながら、ドロドロとした目に見えないものが
複雑に絡み合ってしまっているのです。

日本人が起こす宗教嫌いは、
このような歴史から現れているのだと思います。

もちろん、その当時の時代背景もありましたし
一概にすべてが悪いとは言えませんが、
そのような側面があったのは確かです。

これも悪の策略によるもので
キリスト教、宗教を嫌悪すれば
自動的に聖書から遠のいていきます。

これが本質的な目的です。

「聖書を読ませない」のが本質的な目的です。

なぜなら、聖書を読んでしまうと
この世の嘘が全部わかってしまうから。

「神からあなたへのラブレター」を読ませないようにするために2000年前から始まった結果が今なのです。

中身のない果実

手のひらサイズのりんごをかじった時に中身がすっからかん。

こんなことは、無いことを願いたいですね。

しかし、今の現実に蔓延るあらゆるものが
形骸化された、実質のないものばかりです。

本質がないのです。

あらゆる宗教も大切にするのは
儀式、やり方、お布施、修行 etc…

どれだけ、お布施をしたか。
どれだけ、念仏を唱えたか。
どれだけ、修行をしたか。
どれだけ、瞑想をしたか。

“たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。”

コリント人への手紙 第一 13章1~6節

本質、実質は”愛”です。

すべてのものから
この本質が抜け落ちている。

いや、取り除かれているのです。

宗教の違和感
スピリチュアルの違和感
自己啓発の違和感
ビジネスの違和感

これらはすべて
実質がくり抜かれた証です。

嘘の聖書を用いて
世界を支配してきた。

中身が無いものを僕たちは信じてきたということです。

まとめ

“愛のない者に、神はわかりません。

なぜなら神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。

ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。”

ヨハネの手紙 第一 4章8~10節

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛した。

神が私たちを愛しているのです。

僕は、何かをあなたに強要するつもりはありません。

聖書を読んでも読まなくても
僕の人生には影響がないので関係ありません。

しかし、伝える役目をいただいているので
このように発信させていただいています。

宗教に入る必要はありません。

ただ、聖書を通して、自分を創造した実存を知り、
自分と神との個人的な関係を取り戻していくだけ。

聖書は「神があなたに送ったラブレター」なのです。

神が「これだけは読んでほしい!」
人類の始まりの啓示し書き記した書物です。

実は、そこに”すべて”が明らかにされているのです。

(ちなみにコロナのことも書かれているよ)

なのに、チャネリングや直感で人間に
「私は神さまだ!」と言って話かけると思いますか?

聖書を読んでしまうと
この世のすべての嘘がわかってしまいます。

そして、99,9%が嘘で世の中が回っていることを知ってしまいます。

“いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。

ピリピ人への手紙 2章16節

あなたはなぜ、生まれたのか?

それは世の光となるためです。

これから世の中には希望がなくなります。

コロナ、経済不信、自殺者増加
貧困の増加、社会保障問題 etc…

その闇の中にあって
あなたが光を放つことで世の光となるのです。

あなたは光り輝くために召されたのです。
闇の中の希望の光となるために召されたのです。

どうか、天におられる主なる神よ。
どうか、あなただけに栄光と誉れがとこしえにありますように!

今、語られた言葉は僕からではなく、
神からの言葉であることを心から願います。

って言うか
この動画のクオリティーやばい。
(4:22が一番笑った。)