なぜ神さまは人間に自由意志を与えたのか
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書を知らなければ
世の中の流れが全くわかりません。

逆に言えば聖書を理解すれば
何が本当で何が嘘かがすぐにわかります。

インターネットが普及し
あらゆる情報を無料で入手できるようになりました。

しかし、フェイクニュースを真実と思い込み
それが拡散され、信じ込む人が沢山います。

あなたの脳内にあるデータベースは
ある人が意図を持ってインストールさせたものかも知れません。

何が真実か、本当にわからない。

そんな混沌の時代に
僕たちは生きている訳です。

あなたは、神を信じますか?

宗教的な考えではなく
シンプルに問いたいのです。

言い換えれば
自分を超えた存在がいると信じますか?

こんな質問するの理由は
世の中を見ていると僕自身が「神さまがいる!」と思えないかったからです。

なぜなら、もし神さまがいるのなら
なぜこんなに世の中が狂ったまま放置しているのか?

悪が蔓延り、真面目な人がバカをみる世の中。
貧困、格差問題、DV、差別、自殺 etc…

世の中を見ていれば
神さまなんていると思えない。

それが、僕の素直な気持ちでした。

今回の記事は、
世の中が狂っているのは神さまのせいではなく
人間の自由意志による問題というお話をしていきます。

なぜ、神さまは人間に自由意志を与えたのか?

最後まで読んでいたらければ
心のモヤモヤがスッキリすると思います。

神は人類が愛で満ちることを願っている

自分の子供が
不幸になってほしいと思っている親はいません。

もちろん、DVや暴力など
あらゆる問題に直面している人もいると思いますが
それは、その人自身(親)が幼少期に受けた傷によって
愛の表現方法が間違ってしまっている結果です。

僕たち人間は愛を分かち合うために生まれたのですから
本質的に愛を追求し、愛を表現するために生きています。

神がこの宇宙を創造しました。

“初めに、神が天と地を創造した。”
創世記 1章1節

神が人間を創造しました。

“神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。”創世記 1章26~27節

しかし、なぜここまで
悪が蔓延っているのでしょう?

浮気、不倫、夫婦喧嘩、DV、詐欺
殺人、自殺、賄賂 etc…

神の創造の業は失敗に終わったのでしょうか?

前日、ある人にこのような質問を受けました。

「神が愛が溢れる世界を創りたかったのに、なぜわざわざ人間が過ちを犯すように創ったのですか?」

「人間が悪いことを犯さないように、この世界を創ったらよかったんじゃないのですか?」

確かにそうですよね。

すべてを神が創造したのなら
悪を創造したのも神なのではないか?

始めから、悪を犯すことのない世界を創ったら良かったのではないか?

僕も疑問でした。

なぜ、神はこんな世界を創ったのでしょう?

人間に与えられた自由意志

僕たち人間には自由意志があります。

このキーワードはとても大切なので
しっかりと頭の中に入れてくださいね。

例えば、あなたは嫌いな人に対して
暴力をふるうことができます。

それと同時に、
その人を憐れみ諭し、赦すという選択も可能です。

僕たちは自分の好きなことを選択する力を与えられています。

これが自由意志です。

もっと噛み砕いて言えば
自分の意思によってあらゆることが選択できるということです。

ロボットには自由意志はありません。
ロボットはプログラミングによって動いていますから。

人間にだけ与えられているのが自由意志です。

冒頭でお話しましたが、
なぜこの世はココまで狂っているのか?

それはこの人間に与えられた自由意志の暴走です。

嫌なことがあれば暴力をふるう。
自分の思い通りにならなければ発狂する。
どうしても手に入れたい物は、手段を選ばずもぎ取る。
気に食わないことがあれば、人を殺す。

この積み重ねが今の結果です。

僕たちは神から与えられた自由意志を
間違った方向に使ってきてしまったのです。

しかし、その自由意志を与えたのは神です。

なぜでしょう?

なぜ、神は暴走する恐れのある自由意志を
人間に与えたのでしょうか?

悪のない、愛で溢れる世界を創りたかったら
そもそも悪いことを起こすことができないように
この世を創ったら良かったのではないでしょうか?

なぜ、過ちを犯す選択肢も同時に与えたのでしょう?

その理由は、
愛を成立させるためです。

愛と自由意志の関係

イメージして下さいね。

あなたは、仕事に行くために6時に起床しなければいけません。

疲れているあなたは
寝坊しないために目覚まし時計をかけることにしました。

あなたはフカフカのベットに横たわり
目覚まし時計を6時にセットし、就寝しました。

次の日の朝、6時になると。

ジリジリジリジリ!!

目覚ましが鳴り響きます。

あなたは目覚ましのおかげで
6時に起き、仕事に行くことができました。

さて、あなたに質問です。

あなたは目覚まし時計に愛を感じますか?

心から湧き上がる愛を
目覚まし時計に感じるでしょうか?

イメージして下さいね。

神さまは目覚まし時計に自由意志を与えました。

あなたは、
仕事に行くために6時に起床しなければいけません。

疲れているあなたは
寝坊しないために目覚まし時計をかけることにしました。

あなたはフカフカのベットに横たわり
目覚まし時計を6時にセットしようとしたところ…

時計「明日起こしてほしい?」
(驚きますが、そこはスルーで。)

自分「う、うん!」

時計「どうしよっかな〜、いっつも感謝してれへんし、やりがい感じひんのよなぁ。」

自分「明日は契約のアポがあるから、ホンマに起こしてほしい」

時計「都合のいいことばっかり言うよなぁ〜。ま、6時になって気が向いてたら起こすわ、おやすみ」

あなたは睡魔に襲われ、夢の中へ。

翌朝6時になると、、、

ジリジリジリジリ!!

時計「起きや〜、仕事頑張って!」

自分「うわ、起こしてくれた!ありがとう!」

さて、あなたは
目覚まし時計に愛を感じたでしょうか?

選択があるからこそ”愛”を感じる

この目覚まし時計の例は極端ですが、
少し考えてみてくださいね。

前者と後者では
あなたはどちらにありがたみを感じましたか?

愛を感じるためには条件があります。

それは、選択肢があるということ。

機械の目覚まし時計に人間は愛を感じません。

なぜなら、目覚ましに自由意志がなく選択肢がないからです。

セットした通りに必ず動くからです。
ロボット同じです。

しかし、自由意志があると
選択する権利が与えられます。

目覚ましの場合では、
音を鳴らす権利音を鳴らさない権利です。

このどちらを選択するかは
自分自身ではどうすることもできません。

すべてを相手に委ねるしかないのです。

人間が愛を感じるのは
この両方の選択肢がフェアに選択できる権利がある上で
その対象が自分が望むことを選択してくれた時に
愛を感じるようになっているのです。

恋愛に当てはめてみましょう。

愛する恋人が
毎日「愛している」と言ってくれます。

なぜなら、その恋人は
「愛している」と言うようにセッティングされているからです。

愛を感じるでしょうか?

しかし、あなたの愛する恋人が
「愛している」と言う選択
「愛していない」と言う選択
フェアに持っています。

その中で
「愛している」と言われるとどうでしょう?

心に言葉にできない暖かみを感じませんか?

これを神と人間に当てはめてみましょう。

神は、人間に自由意志を与えました。

それは、人間が神さまを信じる選択神さまを信じない選択ができるようにするためです。

権利は私たちにありますから
どちらを選んでもOKです。

しかし、神はどちらを喜ぶでしょう。
人間にどちらを望んでいるのでしょう?

人間は与えられた自由意志の選択の中で
神に反抗する選択をし続けてきました。

浮気、不倫、夫婦喧嘩、DV、詐欺
殺人、自殺、賄賂 etc…

本当はその選択はしてほしくなかった。
だけど、世間を見渡せばどうですか?

あなたは神から与えられた自由意志を
胸を張って、「神さまが喜ぶように使っているよ」と言えるだろうか?

神は愛である

“愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。”
ヨハネの手紙 第一 4章8節

これは、僕個人の見解なので信じないでくださいね。

なぜ、神はこの世を創ったのか?

それは、神も愛を感じたくてこの世を創ったのだと考えています。
(これは聖書には書かれていない、自分の個人的意見です)

神の性質は三位一体です。

①父なる神
②子なる神
③聖霊なる神

①父なる神は天地万物を創造した神
②子なる神は神が人間に受肉したイエスキリスト
③聖霊なる神は人に与えられた助け主

父なる神は子なる神であるイエスキリストを創り
その間で愛を感じた。

それだけではく人間とも愛を感じたくて
イエスキリストを生贄に捧げ
人々に聖霊を与え、愛を感じようとした。

愛を感じるためには2つの条件が必要。

それは

①愛は対象が必要。
②愛には自由意志が必要。

この世は愛でできているんです。

神は人間に自由意志を与えました。

それは
人間と愛の関係を構築するためにです。

しかし、人間は愛のために自由意志を行使せず
逆に、悪を愛し、神が望むこととは違うことを選択し続けました。

世界を見ると
神が不在のように感じます。

ここまで悪が横行する世の中を
「どうにかしてよ!」と思います。

しかし、神は沈黙を保っています。

その理由は、
人間が自分の意思で気付き、神に立ち返ることを望んでいるから。

ずっと忍耐しているわけです。
ずっと待っているわけです。

そろそろ、
人間は気付かないといけないよ。

本当に。

まとめ

“愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。”

コリント人への手紙 第一 13章4~8節

愛は偉大ですね。

愛は強制することも
強要することもできません。

強制すれば、愛ではなくなってしまいます。

「お前、俺のこと愛せよ!」は無理です。

人間はロボットに愛は感じないのです。

自由意志を与えられているということは
愛の特権を与えられたのです。

なぜ神は人間に自由意志を与えたのか?

それは、神とあなたが愛を感じるため。
あなたがこの世で愛を感じるため。

自由意志は愛のために存在しているのです。

神があなたに愛を感じてほしいから与えられたギフトなのです。

天地万物を創造した神ですから
この世を終わらすことも簡単です。

でも、それは“まだ”していません。

なぜなら、あなたがどれだけ罪を犯しても
あなたを愛していて、あなたが神に立ち返って欲しいから
ずっとずっと忍耐して見守っているんです。

しかし、その時間も
もう少ないかも知れません。

これは警鐘を鳴らしています。

そろそろ、人間は気付かないといけない。
同じ過ちを何度繰り返すのか。

あなたは、神から与えられた自由意志を何に使うんですか?

「人生を謳歌するために!」と言って
欲を満たすために、SEXのために、不倫のために
お金のために、地位のために、名誉のために
そんな死んだらなくなるもののために使うんですか?

“なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。

それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。”


ヨハネの福音書 6章27節

どうか、聖霊による理解がありますように。